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コラムニスト 黒部エリがニューヨークからお届けします。Blog by Eri Kurobe


by erizo_1
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かけがえのない私になる物語「ココ・アヴァン・シャネル」

ひとはどこで「ただのわたし」から「かけがいのないわたし」になるのだろう。

そのことを考えさせてくれる映画が、「ココ・アヴァン・シャネル Coco Avant Chanel」だ。
米国での公開タイトルは、「Coco before Chanel」
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「ココ・アヴァン・シャネル」は文字通り、シャネルになる前のココの物語。

孤児院出身で貧しいお針子だったガブリエル・シャネルが、デザイナーとして成功するまでを描いている。

シャネルといえば、おそらく世界で知らない人のいないグランメゾンだが、実在のシャネルの名言として、こんな言葉が伝えられている。

「かけがえのない人間になるためには常に他人と違っていなければなりません」

この映画ではその言葉通り、当時の着かざった貴婦人たちとはまるっきり違うココの着こなしを見せてくれる。

ショーガールになりたいココは、酒場で知りあった貴族の愛人として庇護を得るようになる。
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孤児で財産もなければ、誰も守ってくれない彼女にとっては、それが生きぬくための手段となる。

そして彼女は貴族の館で過ごすうちに、自分で独自の服を作ってまとい、遊びに来る貴婦人たちに帽子を作るようになる。
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そして運命の恋にめぐりあうココ。
彼女の人生は大きく転換して、ついに彼の出資によってカンボン通りに店を出すのだが……。
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魅力はやはり映像の美しさと、オードリー・トトゥ演じるココの魅力。

横縞のシャツに男物のツイード・ジャケットを着こなしているルックは、すぐさま真似したくなるくらいかわいい。
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また仮装パーティでの男装姿も、大きな白いカフスがとてもかわいくて魅力的だ。
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愛する男性とダンスする時にあつらえる黒いシンプルなドレスは、まさにシャネルのエレガンスが溢れるもの。
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のちにシャネルのシグネチャーとなる「ジャージー」が、イギリス人である恋人の下着から発想を得られたというのもおもしろい。

女性がコルセットで固めていた時代に男物の要素を取りいれたシンプルな服を着るのは、きっと奇抜なことだったろう。

シャネルがをモードとして取りこんで近代ファッションの歴史を塗り替えた裏には、孤児院で黒い制服や尼僧の姿に接していて、ミニマルな美学を育てたことも大きいのかもしれない。
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そしてココが中年男の愛人として暮らしながら、頑としておのれのスタイルをつらぬき、ピンクのドレスを着ないあたり、これぞわがままなフランス女の面目躍如ともいうところ。

着たいものがなければ、自分で男物を改造して作った服を着るというお洒落魂がよくわかる。

少しもの足りないのは、プロットにやや求心力が欠けるところだろうか。

パトロンを得て宙ぶらりんに暮らしながら、ココがどのあたりからデザイナーとしての本気を見せるのか曖昧に綴られている。

身分社会のなかで対等にあつかわれない淋しさを、オードリー・トトゥはセリフよりもあの大きな黒い瞳でよく表現している。

けれども現実には、ココはこの映画の何十倍もの野心に溢れた人物でなければ、世界のシャネルになることはできなかったのではないか。
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少なくともわたしが今まで見てきた経験では、クリエイターとして成功する絶対条件は「内なる駆動力」だからだ。

若い時は「才能」が最優先すると考えがちだ。
才能があるひとが成功するのだ、と。

でも実際には違うのだ。
才能というのは前提に過ぎない。

才能はスタート地点に立つために必要なことで、本当はそのあとのことが成功を決めていく。

そして天才は別としても、スタート地点に立つ程度の才能だったら、じつはかなりの人間に与えられているものなのである。

もしあなたがなにかになりたいと強く願うなら、その時点でおそらくスタート地点に立つだけの才能は与えられているのだ。

では、なにが違いを生んでいくのかといえば、ただひとつ。そのひとを駆りたてる内なる力だと思う。

つまりは情熱であり、執着心であり、がむしゃらに前に進む力のことだ。

たとえば映画でも、ココのこだわりを見せるために、孤児院で制服の襟をわずかでも変えて着こなすとか、リボンの結び方にこだわるとか、彼女のスタイルの萌芽を見せて欲しかった。

なぜならオシャレというのはたった1ミリの違いにこだわることだからだ。

ほんの少しの結び方やプロポーションや丈の違いで「他人と違っている」ように見せるのが、モードなのだ。
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これはどの仕事でも同じで、料理でも音楽でもメイクアップでも小説でも絵画でも写真でも工芸でも、プロセスのひとつずつは細かな違いでしかない。

ところがそういう小さな違いが積み重なると、最終的に出来上がりがまったく違うものになるのだ。

料理にしてもプロは材料の切り方が均一であって、その地道なスキルが最終的に美味な皿をしあげることになる。

どんな分野でも小さな細部を注意深く積みあげていくことで、いつしか高みに達するのである。

まさしく神は細部に宿るのだ。

そしてその一見どうでもいいような細部にこだわることができるのは、とどのつまりそのことが好きだという、たったそれだけのことなのだと思う。

そのことに対するといってもいい。

人に対する愛だろうが、ものに対する愛だろうが、あるいは仕事に対する愛だろうが、ふしぎなことに愛には、人間を前に進ませる力があるのだ。

だから人生で愛するものを見つけたら、そのことに感謝して、とことん愛することだ。
迷ったり、立ち止まったりするより、ひたすら愛することだ。

内なる力はそこから生まれてくるのだから。

もしガブリエル「ココ」シャネルに、どこまでも他の人とは違っていたいという強大なエゴと、服に対する激しい愛がなかったら、彼女はシャネルとして開花しなかっただろう。

この映画では、ココは愛を成就できなかった代わりに、モード界の寵児になる夢を実現させる。

最後のコレクションのシーンは、圧巻だ。
鏡張りになった階段の美しさ。
シャネルのアーカイブを利用したのか、どのルックも夢のように美しい。
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愛を喪っても、夢をかなえて輝くココに、観客は心から拍手を送りたくなるに違いない。

そしてまた同時にシャネルの言葉が生きたものとしてよみがえるのだ。

かけがえのない人間になるためには常に他人と違っていなければならない、と。


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by erizo_1 | 2009-10-15 15:16 | エンタメの殿堂