フェイスブック成立の裏側を描く傑作「ソーシャル・ネットワーク」
2010年 10月 16日
みなさんは「Facebook」をお使いですか?
エリぞうは使っております。
今やアメリカでの普及率はものすごく高くて、ことに高校生大学生となったら、ほとんどの子がやったことがあるのではなかろうか。
じゃあ、なぜ使っているのか?
というと、わたし自身でいえば「流行っているから」という理由しか思いつかない。
べつにオンラインで見知らぬ「フレンド」が欲しいわけじゃないけれど、ライターという仕事をしていると、誰かに取材を申し込む時、あるいはメールでやりとりする時の身元証明のためにフェイスブックがあると、話が早いのだ。
さらに最近は「フェイスブック」経由じゃないと、取材相手もメールが戻って来ないというケースが多い。
いっぽうでフェイスブックの普及は特にティーンエイジャーにとって社会問題にもなっている。
わたしも友だちの娘さんたちが高校生だと必ずフェイスブックを持っているので覗くのだが、アルバムを観ると、仰天することが多いのだ。
なにしろグラビアギャルみたいなポーズの写真がゴロゴロあるんだから。
いや、なにもハダカってわけじゃない。
けれども、
「実際によく話したことがない相手でもフレンドと承認したら、ごく親しい間柄にしか見せないような写真を公開するのか?」
という疑問が浮かんできて、オンラインに無防備な若い子たちのことが心配になってくるのだ。
10代の子に何百人ものフレンドがいることじたい、異常だろう。
しかし今のティーンズたちにとってはこれがスタンダードのことらしい。
フェイスブック世代にとっては、もはや友だちの概念が、それ以前の世代とは違ってきているようなのだ。
そう改めて感じたのが、このフェイスブックの誕生実話を元にした映画「ソーシャル・ネットワーク」。
この映画、登場人物たちが存命しているどころか、主人公たちは未だに20代という近過去の生々しい物語である。
主人公のマーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)はハーバード大学の学生。
彼がフェイスブックを作りあげていくまでの物語なのだが、これが青春のサクセスストーリーを想像すると、まったく違う。
描かれているのは、ディープな人間心理ドラマなのだ。
そしてそのドロドロの権力闘争が、じつにおもしろい。
マークたちは大学生でありながら、知人をだしぬき、親友を裏切り、友人を相手どって何十億円もの訴訟を起こし、互いに弁護士を立ててやりあうのである。
ふつう20歳の青年といったら、いちばん友情を大事にする年齢ではなかろうか。
ところが彼らは違う。
目的のためには裏切ったり、いらないメンツは排除したりと、やっていることが中高年の社長レベルなのである。
大学側から叱責を受けてもまったく罪悪感を持たないし、弁護士に対する態度も偉そうな「上から目線」
「世界でオレより賢いヤツはいない」
と自負できるハーバードのエリートたちの世界というのは、ここまで鼻持ちならないものなのかと空恐ろしくなるほどだ。
(たぶんこの映画を観た観客たちはハーバード大学に対して、なにかしらの嫌悪感を抱くことになる)
そんなマークのキャラクターを暗示させるオープニングシーンがうまい。
ガールフレンドと話している主人公のマークが非常に頭は切れるものの、他人の気持ちに疎くて、屁理屈ばかりのナード(おたく)であることが示される。
頭が良すぎるために、自分より愚かな人間は見下して、自分が正義だと思いこめる男。
ずば抜けて頭が切れるのに、相手の気持ちを察することができず、ふつうの人間関係が築けない男。
しかしながら明確な悪意があるわけじゃなくて、おのれの残酷さに無自覚な男。
この映画からはそんな人物像が浮かんでくる。
マークは敵を倒していくというより、「自分がやりたいこと」を妨げるものはなんでも排除していくように見えるのだ。
「フェイスブック」の創始者が、まさにオンラインでしかフレンドを作れない人間であるところが、人生の皮肉というべきか。
おそらくビル・ゲイツもスティーブ・ジョブスも似たようなタイプなのだろう。
ハーバードのエリートのなかでは卒業まで待たずに、学生時代に起業して退学するような人間こそ勝ち組なのだ。
ふつうの人間ならば青年時代は友情を大事にして、曲がったことが大嫌いなものだろう。
それが年を経るにつれ、酸いも甘いも噛み分けて、いつしかツラの皮の厚い中年になっていくものだ。
ところがビジネスの天才というのは、どうやら反対の過程を辿るらしい。
彼らは20歳の時は自己実現のために友だちを斬り捨て、ライバルを潰すことができるように見える。
ところが巨万の富を築いて中年になってから、ビル・ゲイツにせよ、ウォーレン・バフェットにせよ、人類への貢献に目覚めるようなのだ、
それは名誉欲といったちっぽけなものではなくて、成功する目標を達してしまったら、次なる「達成困難な目標」がなければ生きていけないからではないか。
あるいは天才というのは脳の一部だけがズバぬけて優れているため、若い時はまともな人付き合いができなくて、中年になってからようやく心が追いつくのかもしれないのだが……。
いずれにせよ、このドラマは最新の「フェイスブック」という現代のツールをあつかっていながら、そこに描かれているのは何千年も昔から同じ「権力」や「欲」をめぐる物語であって、あたかもイギリスの宮廷劇を思わせる人間ドラマがおもしろい。
ここにあるのは若者たちのハッピーなアメリカンドリームではなくて、血の流れないマクベスの物語なのだ。
こちらが映画で演じる役者たち(左)と実在の人物たち(右)
上からフェイスブック創始者であるマーク・バッカーバーグ、ナップスターの創始者のひとりであるショーン・パーカー、そしてフェイスブックを共に立ちあげた「かつての」親友エドアルド・サヴェラン。
アメリカでの映画評は非常に高くて、おそらくアカデミー賞の脚本賞にもノミネートされるのではなかろうか。
2010年必見の話題作といえるだろう。
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