NYで広島長崎の被爆者たちが語る原爆体験とノーモア・ヒバクシャの訴え
2011年 05月 21日
ご承知のように、福島第一原子力発電所では、炉心溶解、高濃度の放射性物質に汚染された水の流出など、かつてない被害が広がっています。
原子力発電の「安全神話」が脆くも崩れ去ってしまった今、「被爆」はリアルなものとして日本の生活を、そして汚水が海に流れ出した世界の人々の生活を脅かし始めてします。
人間の力では100%の安全をコントロールできない原子力エネルギー。
「万が一」が実際に起きてしまった時にどうするのか。
その危機感が高まっているなか、65年前に実際に原爆の被害を受けた被爆者の方たちがNYを訪れ、啓蒙のトークイベントを開催されます。
「被爆者自身が語る原爆体験、
その後の人生、平和への思い」
被団協こと、「日本原水爆被害者団体協議会」の事務局次長である木戸季市さんは長崎での被爆体験者。
1945年 8月 9日11時02分に、お母様と一緒に爆心地から約 2kmの路上で被爆されたそうです。
そして同事務局次長の児玉三智子さんは、広島に投下された原子爆弾による被爆者。
当時7歳で国民学校2年生。木造校舎で被爆されたそうです。
児玉さん自身のことばを引用すると、
「突然のもの凄い光、あっという間に木造校舎の天井の梁が落ち、窓ガラスが鋭利に飛び散り、教室の壁、机、床にそして私にも突き刺さりました。
どれだけの時間が経ったのか記憶がありません。梁に挟まれて逃げられなくなっている友を置いて、廊下まで這い出ました」
お父さまの背におぶわれて避難する間、あまたの苦しむ被災者の姿にこの世の地獄を目の当たりにしたという児玉さん。
放射能を多量に含んだ「黒い雨」が屋根の焼け落ちた家の中まで降り、多くの親族を亡くされたそうです。
それだけに留まらず、就職や結婚でも被爆者であるということだけで偏見、差別をうけてきたという児玉さん。
「被爆者は被爆者であることだけで、人生の節目、節目でなやみ、苦しみ、嘆き、怒りをおぼえるのです」
このような体験を再び繰り返させてはいけないと、世界の核廃絶を訴え続けているのが、被団協です。
被爆が決して「遠い昔の悲劇」ではなくて、「今ここにある危機」になってしまった今日、ノーモア・ヒバクシャの訴えは、わたしたちが今こそ聞くべき体験ではないでしょうか。
この貴重な「被爆者の方々による原爆体験」がマンハッタンと、ブルックリンのウィリアムズバーグで行われます。
65年前にアメリカが初めて開けてしまったパンドラの箱、原子力。
ひとりでも多くの方に聴いていただきたい体験談です。
「被爆者自身が語る原爆体験、その後の人生、平和への思い」
日時:5/22 2:00pm - 3:30pm
日米合同教会
Japanese American United Church
255 Seventh Avenue bet.24th & 25th St
212-242-9444
同時通訳あり
最寄り駅: E,F,1,9,N,R trains to 23rd St Station
日時:5/22 4:30pm - 6:00pm
WAH Center (Williamsburg Art & Historical Center) • 135 Broadway, Williamsburg Brooklyn, NY 11211
(718) 486-7372 or (718) 486-6012
同時通訳あり
最寄り駅:Mercy Avenue
問い合わせ:wahcenter@earthlink.net
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