コラムニスト 黒部エリがニューヨークからお届けします。Blog by Eri Kurobe


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NYで「海辺のカフカ」 キールアーチなき村上春樹はあり得るか?

NYのリンカーンシアターにて村上春樹原作の「海辺のカフカ」を鑑賞。
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蜷川幸雄演出
宮沢りえ、藤木直人らが出演。
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劇場はNYシティバレエの本拠地であるデビッド・コッチ・シアター
劇場内はネイティブの観客が多く、村上春樹の人気の高さがよくわかる。3階席までぎっしり。
海外公演でこれだけ人が呼べる舞台はめずらしい。
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いったいあの小説世界をどう舞台化するのか?
結論からいうと、とにかく舞台美術がすばらしかった。

舞台には大きなガラスケースがいくつも出現して、そのガラスケースのなかに森を表すような木々や、はたまた図書館の一室や、あるいはトラックや神社や居間などがそれぞれ納まっていて、その巨大なガラスの標本箱を移動させることで、情景を一変させていく。
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これがすごい!
場面ごとにスムーズにガラスケースを特定の場所に移動させていく黒衣たちの動きに目が釘付け。
いったいどうやってそのコーディネイションを作り上げたのか、どうやって覚えて間違いなく動かせるのか、まるで良くできた組み体操でも観ているようなアクロバティックでダイナミックな演出で、さすが蜷川先生!
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脚本はフランク・ギャラティ。
きわめて原作に忠実で、ちゃんと納得できるセリフを取りだして、上下刊をうまく3時間にまとめている。

村上作品は英語翻訳への親和性が高いので、違和感なし。
というよりも、若手役者の滑舌がよくなくて聴きとれないところは字幕を追ったほうがよくわかるくらい。

中田さんの役者さんがすごく良くて、出るたびに場面をさらっていって存在感抜群。
ジョニー・ウォーカーさんの身体能力もすごいし、星野さんもとても良い。
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そしてなにしろ宮沢りえがきれい!
折れそうに細くて、臈長けて美しい。
ガラスケースに詰めたままお持ち帰りしたいくらい。
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……だが、しかし。
最大の難関は、村上春樹の世界は舞台になり得るのか、という根本的なところ。

プロットで牽引する作家であれば、その骨組みだけを換骨奪胎して、映画や舞台にすることで原作よりもおもしろくなることもあるけれど、ハリポタを映画化するというのと、この場合まるきり問題が違う。

村上春樹といえば、現代作家のなかでもずばぬけて卓越した文章力の持ち主。
プロットだとかキャラだとかではなく、そのレトリックそのもの、その修飾語や比喩や隠喩、あるいは言葉使いそのものが、村上春樹の宇宙を作りあげている。

村上春樹が作り上げる独自の宇宙、そのシュールレアリスティックな世界を構築しているのは、まさしくザハのキールアーチのようなウルトラテクニックであって、二本の橋桁のように堅固な言語感覚とレトリックがあるからこそ、美しく不安定な不条理世界が支えられているのだ。

たとえばサルバドール・ダリのシュールレアリスティックな世界が、その圧倒的な画力、スーパーリアリズムともいえる表現力なくして、わたしたちの眼前に、リアルかつ不思議な世界が出現しないように、村上春樹の宇宙もその文章力なくして存在はしない。

シュールレアリスティックは虚構をリアルに見せられる橋桁がないと、向こう側に辿りつけない。

それを舞台で生身の肉体が演じるというのは、あたかもキールアーチなくして縮小した新国立競技場はあるのか、というようなもの。

たとえば小説のなかで中田さんが猫と話すのと、舞台で中田さんが猫の着ぐるみを着た役者とセリフを交わすというのではまったく印象が違うわけで、まあ、どうしたってコメディにはなるし、着ぐるみの猫ばかり頭に残る。
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なので、原作を読んだ人にとってはどう転んでも「足りない」「なにか違う」舞台になってしまうわけで、これはもう致し方ない。文章と生身の違いなんだから。

キールアーチをなくした修正案で競技場を作るというのは、やはりとてつもなくむずかしいのだ。

なので、この舞台に関していえば原作を読まないで行って、あとから読んで「ここはこうだったのか」と思うほうがよさそうだ。

原作を知らないで観て感動していた人も多いので、これは「読前/読後」で大きな違いがあるかもしれない。
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いずれにせよ一見の価値あり。
かつて伊丹十三が、「映画というのは観た後で、ああだこうだと話をするためのもの」といったようなことをいっていたけれど、舞台というのもまさしくそのためのもので、この舞台を観に行ったら友達と2時間は話せるはず。

舞台化が不可能な村上作品をここまで形にしてみせたのは立派だし、なにより舞台装置はただもうすばらしいの一言。
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ガラスの標本箱が作り上げていく情景は小説とはまったく別の宇宙を作りあげ、これこそ舞台にしかなしえない表現方法だ。

ああいう舞台美術こそ東京オリンピックの開幕式でやってくれまいか。

追記)周囲でもかなり観た人たちがいたので話してみると、原作を読んでいなくてとても感動していた人も多かった。感動して泣いたという人も。
この舞台で興味を持って原作を読むこともあるだろうから、それは作者にとってもとても喜ばしいことだと思う。

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)
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海辺のカフカ (下) (新潮文庫)
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by erizo_1 | 2015-07-26 03:36 | エンタメの殿堂