本物のほうがさらに上をいく! 「プラダを着た悪魔」
2006年 11月 27日
ファッション雑誌のアシスタントとして働き出すヒロインを描いたコメディ映画、「プラダを着た悪魔」
アン・ハサウェイが主演のヒロインを演じて、スタイリングをかのパトリシア・フィールドが手がけているのも見所です。
で、この「悪魔」こと、メリル・ストリープが演じる鬼編集長のモデルが、ボーグの編集長であるアナ・ウィンター女史。
著者は実際にボーグでアシスタントをやっていた女性で、この本の発表当時は暴露小説として話題を集めたものです。
えーと、実物のアナ・ウィンター女史はこちらですね。おかっぱヘアがトレードマークになっています。
これはコレクション会場で、いっしょに組んでいるカメラマンの横山順子さんが撮影してくれたスナップです。
隣にいるのは愛娘のビーさん。親子揃って美人ざます。
しかしこうやってにこやかに撮らせてくれる時はいいけれど、実際には不機嫌な日もあって、それがめっちゃ恐いです。
映画で観るように、こちらの編集部ではディレクタークラスの編集者は個室をもつのがふつうで、さらに秘書も雇えるのが、日本の出版社とはかなり違うところ。
モード誌となると、編集長はその雑誌の「顔」ですから、当然ファッショナブルでなくてはならず、ボーグでは高額な給料のほかに、アナさまの「お召し物代」として1000万円以上の支給があるとの噂。
とはいえアナさまともなれば、デザイナーたちが服を喜んでタダでくれるでしょうから、いったいどこで服を買う必要があるのかはナゾ。
映画では意外なところにモデルのジゼル・ブンチェンやデザイナーのヴァレンティノが出演しているのも楽しいところ。
ファッションピープルたちがいかに痩せているかを競ったり、着ている服で相手を判断したりするかというビッチな現実を余すところなく描き(笑)、そしてセリフのなかに、
「パトリック・デマシェリエ(有名なファッション・フォトグラファー)に電話して」
とか、
「ザック・ポーセンのコレクションを、ノグチ・ガーデン(イサム・ノグチの彫刻がある庭園のこと)で、マリオ・テスティーノに撮らせる」
なんて会話が出てくるところが、いかにもボーグっぽくて業界らしさが出ています。
スタンレー・トゥッチが演じているナイジェルという男性編集者は、たぶんボーグ誌で有名な男性編集者、アンドレ・レオン・ターリーをモデルにしているはず。
えーと、こちらが本物のアンドレたんです。
ご本人の出版記念パーティでの写真で、隣にいるのはアメリカの黒柳徹子こと、有名なインタビュアー、バーバラ・ウォルターズです。
アンドレたん、でかいですね。
いつもファッショナブルな恰好なのですが、あのサイズの服がフツーに売っているとは思えないから、全部オーダーメイドなんだろうなあ。
ターリー氏はグラマラスでクラシックな時代のハリウッドファッションに詳しいことで知られていて、業界では有名な人物。
ブラックの男性が白人女性中心のモード雑誌の世界でのしあがったことじたい、たいへんなことですが、ナイジェルが映画のなかで、ファッションを薄っぺらなものと考えるヒロインに対して、こんなふうなセリフをいうシーンがあるんですね。
「きみにとってはたんなる雑誌かもしれないが、この雑誌はある人たちにとっては夢そのものなんだよ。
ことにぼくのようなロングアイランドで、六人兄弟のなかで育ち、こっそり隠れてこの雑誌を読んで憧れていたような少年にとってはね」
(ちなみに実際のターリー氏は南部出身で、子どもの頃にファッション編集者になりたいといったところ親戚から、そんなものは男の子のやることじゃない、といわれたらしい)
わたしはこのシーンが好きなのですが、やはりモードというのは幻想という力がなくては存在しないもの。
ファッション界で多くのデザイナーがゲイであるのも当然であることで、「この現実の自分ではない自分」を空想する力がないと、クリエイティビティというのは生まれないんじゃなかろうか。
さて、この映画のすごさは、本物のアナ・ウィンター女史のほうが、メリル・ストリープ演じるミランダよりも、さらに美しく、さらにファッショナブルで、さらに恐ろしいというところ。
わたし自身はニューヨーク・コレクションのときに、アナさまのお姿を遠くから拝見するだけですが、いやもう、すごいっすよ。
アナさまが通ると、ザザーッと左右にひとが避けるもの。飛ぶ鳥落とす勢いとは、あのことだす。
つねに完璧なスタイル、つねに同じヘアスタイル。
もちろんお座りになるのは、フロントローのいちばんいい席。
アナさまは映画のミランダとは違って、すでに離婚歴ありですが、最近は後継者と目される娘のビー嬢と並んで座っていることが多いです。
わたしが「すげー」と感心したのは、グウェン・ステファニのコレクションのとき。
ショーを終えて、挨拶に出てきたグウェンがまっすぐアナさまに近づいて、ハグしたんですよね。
旦那より先に挨拶だよ? いちおう世界的ロックスターである旦那の立場はどこにあるんだっていう。てか、立場ゼロ以下だし。
つまりグウェン・ステファニやジェイ・ローといえど、ファッション業界に参入したければ、アナさまに仁義を切るというのが掟であるわけですね。
なにしろアナさまといえば、彼女の鶴の一声でコレクションの日取りがずれるというほどの実力の持ち主。
そんな編集長、日本にはいないって。
というか、いくらタイム誌やライフ誌の編集長だって、ひとつの業界をまるごと動かせないでしょう。
映画のなかでもアナさまにコレクションのプレビューを見せたデザイナーが、アナさまに褒められず、すべて作り替えるというエピソードがあったけれど、これは業界的にはとっても正しいです。
NYではアナさまのアドバイスに従わなかったデザイナーはいずれ消えていくといわれていまして、NYコレクションから消えたあの人やこの人は、アナさまのご不況を買ったとの噂ありです。>びくびく。
そういえば去年だったか、あるショーでアナさまがセレブのためにショーの開始が遅れて、しかもクーラーが効かずに暑いことにうんざりして、
「帰るわ」
といいだしたことがあったんですね。そしたら、つぎのシーズンからみごとにセレブが一掃されたという。これもアナさまの一声なのでしょうか。>びくびく。
じゃあ、なんでそこまで権力をもっているのか?
というところがすごく気になるわけですが、周りに尋ねてみても、はっきりした理由がよくわからない。
もちろんずばぬけた美的センスと編集能力、ビジネスセンスを持っているのはたしかでしょうが、それだけで権力をもてるものじゃない。
となると、あとは政治力の問題でしょうね。
わたしが聞いた範囲では(あくまで噂ですが)ガリアーノからマーク・ジェイコブスまで新人時代に、アナさまに援助してもらわなかったデザイナーはいない、といわれているとか。
これが本当なら、なるほど、たいした女傑だと思うんですよ。
たとえばデザイナーに対して「あなたのことを雑誌で取り上げてあげるわ」というくらいなら簡単にできるにせよ、資金を援助するというのは、おいそれとできないのではなかろうか。
ましてや20年も前にそうした発想を持っていた女性というのは、まさに先駆者といっていい。
アナさまが新人の才能を見抜いて、将来のために金をぽん、と出せる女性だとしたら、それはやはり女王にふさわしい統治能力でしょう。
ちなみにアナ女史はアメリカ人ではなくて、イギリス出身です。
そのせいかジェーン・エア風というんでしょうか、いつも暗く曇り空っぽい表情でいるのも特徴的。
モードの世界で頂点に上り詰めた女性なのに、なぜにいつもああ憂鬱そうなのか。
わたしは彼女を見るたび、「わたくしはイングランドと結婚したのです」と公言したという英国史に輝く処女王、かのエリザベス一世を思い出してしまうのでした。
ボーグと結婚した稀代の女性編集者、アナ・ウィンター。
その業界の華麗さと意地悪っぷりを、ぜひ映画で体験してみてください。