コラムニスト 黒部エリがニューヨークからお届けします。Blog by Eri Kurobe


by erizo_1
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2009年 12月 30日 ( 1 )

30年目の初恋の行方

みなさんにとって09年はどんな年でしたか。
わたしにとっては「過去との邂逅」がとても印象的な年でした。

今年の初夏、日本に滞在した時に起きた、とてもふしぎな出来事があったのです。

先日も書きましたが、わたしにはえりこさんという小学校から一緒の親友がいます。
中学生一年の頃、えりこさんは一学年上の男の子を好きになりました。

色が白くておとなしい、きれいな顔立ちの男の子でした。

当時の中学生ですから、ウブなものです。
ただ遠くから見ているだけの片想いでした。

わたしは彼女の初恋を応援していたものです。
いわば少女マンガにおける「主人公の片想いを助ける脇役の女の子」みたいな役回りでした。

体育祭で彼の写真を撮ったり、彼を主人公にしたマンガを描いたり、彼が描いた絵をこっそり盗んできたり、保健室の資料から彼の体重身長を抜き書きしてきたりと、暗躍していたのです。

そしてえりこさんが転校したあとは、彼の高校まで文化祭の日に訪ねていったこともありました。

あいにく彼はいなかったので対面はできませんでしたが、同級生にえりこさんの手紙を渡したことを覚えています。

初恋は実らず、なにも起こらないまま、いつの間にかわたしたちは大人になり、結婚をして、えりこさんには子どもができ、彼のことは彼女にとって遠い初恋の思い出となっていったのです。

さてふしぎな展開が起きたのは、今年の5月のこと。

ある日えりこさんがメールを寄こしてきたのです。

「これはあのひとのことじゃないかと思うの。このスレッドを読んでみて」

それはある掲示板にあげられたスレッドでした。
内容はかなり衝撃的なものでした。

「私の弟は四年前にみずから命を絶ちました。
彼の思い出を語るために、このスレッドをたてました」

亡くなった方は、彼と同じ名前でした。
掲示板にアップされている写真も、たしかに彼の面影がある。

そこでわたしがカキコミをして確認したところ、やはりあの初恋の男の子だったのです。

悲しいことに、彼は既に四年前にみずから命を絶って他界していました。

そして掲示板でやりとりしているうちに、彼が経営していた店で当時働いていたという方たちとコンタクトが取れました。

まったくふしぎな縁ですが、彼女たちと食事をして、生前の彼について聞ける機会を持てたのです。

驚いたことに、彼女たちが語ってくれた彼は、わたしたちが覚えている彼とは別人のような男性でした。

わたしたちが覚えている彼は、色白で内気だった美少年。

ところが大人になってからの彼は、見た目も奇抜で奇行も多く、たくさんのひとから愛される魅力をもつかたわら、周囲にとっては時に持て余すような、強烈なキャラクターの持ち主だったようです。

彼女たちはとても人柄のいい方たちで、なるほど、こういうひとたちを周囲に集めていたのならば、決して彼は悪いひとではなかったに違いないと確信できました。

彼は周囲に誰も頼れるひとがいなくて死んだとか、借金をかかえて自殺を選んだわけではなかったのです。

ただひたすらおのれを傷めつけ、何度も自傷を繰り返していて、周りがなんとかして救いたがっていたのにも係わらず、それでも死にむかっていくのを止めようがなかった。

さらに彼のお母さまもご親切に「会いたい」とおっしゃって下さって、お宅まで訪問することができました。

えりこさんは三十数年目にして、好きだった男の子の家を訪ねることができたのです。

大切に保存してあるアルバムには、彼の赤ちゃん時代の写真から、懐かしい面影を宿し中高時代の写真、大学、店を経営してからの写真、そして彼が残した数々のコラージュまで軌跡がたどれました。

誰かに自殺をされるというのは、周囲の人間にとっても、やりきれない気持ちが残るものです。

どれだけ長い時間をかけて、ご家族や知人の方たちは心の傷を癒してこられたことでしょうか。

なぜ彼が命を絶たなくてはいけなかったのか。
話したこともないわたしに軽々しくいえるものではありません。

彼のご実家はたいへんな名家であり、容姿にも恵まれていて、社長としてビジネスもこなし、周囲に友だちがいたのですから、決して絶望するような人生ではなかったのです。

しかしながら、どんなに恵まれた環境であっても、どんなに周りが認めたとしても、人間というのは自分が自分を認められなければ、生き続けることはできない。

おそらく彼の存在を誰よりも認めなかったのが、彼自身なのでしょう。

彼の魂の闇は、わたしには窺い知れないほど深いものだったに違いありません。

わたしたちは中学生の頃に、遠くから彼を見るだけで話したこともありませんでした。
死んだ今になってからそのひとを知るのは、まったく奇妙な気持ちがするものです。

なぜネットサーフィンをしないえりこさんがたまたま彼のスレッドを発見できたのか、しかもわたしが帰国する時期に重なって見つけることができたのか。

偶然と偶然が重なったのでしょうが、その確率にふしぎな思いに打たれます。

そして他ならぬ彼の意図を感じるのです。

この世ならぬところにある彼の魂、あるいは彼だったもののなにか。
それが周波数のように、えりこさんに届いたのではないかと。

断っておくと、わたしは亡霊というものは信じていません。

ひとは肉体という物質に留められないかぎり、人格を保持できない。
「わたし」とは堅固なものではなくて、いくらでも形をかえ、崩れていく波のようなものです。

だからわたし自身は人格をもった亡霊といったものは信じませんし、なにより彼自身は生前に「二度と生まれ変わりたくない」といっていたらしい。

故人の意志を尊重するならば、彼は宇宙の塵にもどり、魂は霧散したことになります。
彼はどこにもいなくなった。それで正しいのだと思います。

それでもわたしは心のどこかで信じているのです。

わたしたちが塵に帰り、分子に戻り、脳の電気反応に過ぎない自我が消え、宇宙の闇になったあとでも、なおまだ残る魂、あるいはどこかに蓄えられた記憶のようなものがあるのだと。

そしてそれはわたしたちすべてをつなげているのだと。

ギリシア神話に「アリアドネの糸」という伝説があります。

クレタ島の迷宮に入った王子テセウスは、アリアドネからわたされた糸玉を繰りつつ迷宮へと入って行きます。

そしてみごとテセウスは怪物ミノタウロスを倒したあとに、糸を伝って脱出する。

まるでその神話のように。
この世には、アリアドネの糸があるのではないか。

その見えない糸をひっぱると、するすると時空も空間も超えて、迷路をこえて、どこかにつながるのではないか。

彼の引いた糸が、この世とあの世をつなげてくれたということ。

知らなかったひとたちの人生が混じり合い、からみあい、動き出していること。

わたしとえりこさんが、彼の人生に係わっていた方たちと知りあい、そこにまた新しいつながりが始まっていること。

この世にはたしかに見えない糸があるのです。

光り輝くアリアドネの糸。

手をのばしたら、いったいどの糸に触れるのか。
それは少しばかり怖くもあり、心躍るものでもあり、そしてまた敬虔に頭を垂れて祈りたくなる気持ちにもなるものです。

新しい年に起こる、さまざまな偶然が、わたしたちひとりひとりを新しい場所に導いてくれますように。

光り輝く糸を辿っていけますように。


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by erizo_1 | 2009-12-30 18:22 | 心の小部屋