コラムニスト 黒部エリがニューヨークからお届けします。Blog by Eri Kurobe


by erizo_1
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<   2007年 11月 ( 12 )   > この月の画像一覧

イトコのキョウコちゃんがパリから来日。

キョウコちゃんはパリに住んでいて、バイイングの現地コーディネイターの仕事をしている。

ことにスイーツに造詣が深くて、ショコラティエのジャン・ポール・エヴァン氏やコンフィチュールで有名なクリスティーヌ・フェルベールさんと親交が深いらしい。

フランス人の夫との間には息子がひとりいる。こいつは超元気でうるさいのだが、ルックスはさすがハーフの特権、えらい美少年なのである。

東京の公立学校で夏休みの体験入学もしたのだが、元気なパリジャンのクロベくんは人気者だったらしい。

さて今回はちょうど私用で日本に帰ってきたキョウコちゃん。
パパンの見舞いにも駆けつけてくれた。

家族のいる間は保護用のミトンをはずしていいことになったので、パパンの手を握ってあげる。

キョウコちゃんのことはちゃんとわかって、彼女が話しかけることに、うんうんとうなずくパパン。
目をうるうるさせているキョウコちゃん、やさしい(涙)

キョウコちゃんは息子ゲンキくん(仮名)がパパンのために書いてくれたお手製カードを持参。

Joyeux Noelとフランス語で書いてあるところが、おフランス(て、当たり前か)

そしてゲンキくんの写真入りカレンダーも披露。
フランスの学校ではクラスでひとりずつ写真を撮り、それをカレンダーにして購入できるらしい。

ふだんのウルトラ元気な態度を隠しまくって、美少年の優等生みたいに写っているゲンキのカレンダーを枕元におく。

「おじさんにぜひ食べさせてあげたいと思って」
とキョウコちゃんがパリから持ってきてくれたのは、フランスで人気のスイーツ。

「キャラメルの神さま」と呼ばれるアンリ・ルルーのキャラメルとショコラ。

アンリ・ルルーはブルターニュ地方の港町キブロンにアトリエを持つ菓子職人。

C.B.S(セーベーエス)と名づけられたキャラメルで名高く、世界でただひとりのキャラメリエ(キャラメル職人)らしい。

C.B.Sとは、Caramel au Beurre Sale (キャラメル・オウ・ブール・サレ)、つまりブルターニュ地方の「塩バター入りキャラメル」

これが誰にもマネのできない、とびきりの味として、世界のお菓子マニアにとっては垂涎の的なんだそうだ。

生涯をキャラメル作りにささげて、それが世界に知られるようになるってのは、すごい話だよね。

C.B.Sのほかにもショコラやフランボワーズ、オランジュ・ジャンジャンブル、シトロン・ヴェールなどさまざまなフレイバーのキャラメルが詰まっていて、色彩もきれい。
レモン味のキャラメルなんて、キャラメルとは思えない果実の風味と爽やかさ。

さらに「ジャムの妖精」と呼ばれるクリスティーヌ・フェルベールのGriotte(グリヨット種さくらんぼ)のジャムもおみやげに。

クリスティーヌさんはアルザス地方の小さな田舎町に住むパティシエで、大鍋でさくらんぼや苺を昔ながらの手法で煮て、素材の味を引き出したコンフィチュールを作りつづけ、それがパリで絶賛されるようになったんだそうだ。

このグリオットのジャムはアラン・デュカスのために彼女が作ったものだとか。

なんと「キャラメルの神さま」に「ジャムの妖精」!
ほええ、フランスにはすごいものが存在しているらしい。

てことは、キャンディの大魔神とかマシュマロの妖術師とかもいるんでしょうかね?

「よし。ゲンキを将来キャラメルの王子に仕立てあげるのだ!」
とキョウコちゃんにそそのかす。

パパンは残念ながら、いま口から食事が摂れないのだけれど、

「ほら、フランスのキャラメルをもらったよ。早く元気になって、おいしいものを食べようね」

と話しかけると、パパンの顔にスマイルが広がった。
あ、パパンが笑っている。

そんな嬉しそうな、なごやかな顔を久しぶりに見たよ、パパン。
人間やっぱり最後に残るのは、おいしいものなんだなあ。

さて神さまのキャラメルだが、塩キャラメルといえば、エリぞうの好みにドンズバなのだ、わくわくわく。

自宅用にもらったぶんから、さっそく噂のC.B.Sをトライ。
おおお、おいしい!

かすかな塩味になんともいえない深みと繊細さがあって、ああ、本物の海の塩って旨みがあるなあ、とよくわかる。

ふだん食べるキャラメルがシンプルな一枚の味だとしたら、こちらは何層にも重ねたオートクチュールの味。

海辺で舐めたキャラメルの味を思い出すような、どことなく郷愁のある味わいでもあるね。

柔らかくて、食感としてはヌガーとかファッジに近いんだけれど、歯につかない。本物のキャラメルというのはこういうものらしい。

やさしい郷愁と繊細な甘さと深みのあるキャラメル。
パパンにも食べさせてあげたいよ。
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by erizo_1 | 2007-11-28 22:33 | ライフのツボ

パパンとアルバムの巻

病室にはパパンのアルバムがある。
お年寄りはむかしのことはしっかり覚えているというので、アルバムを作って持っていったのだ。

それが看護師さんにとってもなかなか興味をそそるらしく、何人かの看護師さんがアルバムを見てくれた。

当然ピータローの写真も入っているので、
「旦那さん? すごいワイルドだね」
とか、
「旦那さん、芸能人みたいね」(←ビリー隊長のことか?)
というコメントをもらっている(笑)
やはりハゲのブラックは、日本社会的には相当にインパクトが強いのでしょう(笑)

元気だった頃のパパンの写真を観て、看護師さんが驚いたように、

「え、これ、黒部さん? ふーん、黒部さんに見えないねえ」

とコメントを。
あれ、そうなのか。わたしの目には同じパパンなのだが、入院して以来入れ歯をはずしているので、くしゃおじさんみたいな顔になっているのだ、

でも写真のなかでは、パパンはシャキシャキしたお年寄り。
つい2年前までは海外旅行もしていたほど、元気なお年寄りだったのだ。

家族にとってパパンはパパンだけど、看護師さんにとっては新しく来た患者さんなんだよね。

病状や過去の病名はわかっていても、そのひとが誰なのかなんてことは知らない。
でもみんな、それまで人生のあったひとたちなのだ。
パパンだって一年前まではシャキッとしていて、決してこれほど弱くて、痛々しいお年寄りだったわけじゃない。

入院した当初パパンは、看護師さんにも
「グーテンターク」
とドイツ語を披露していたらしい(笑)

同じフロアにはたくさんお年寄りが入院しているんだけど、みんなそれぞれ何十年もの過去があったのだろう。

パパンにはこれまで生きてきた人生があり、ちゃんと過去があったのだと伝わるのは嬉しい。

親切にしてくださっている看護師さんたちには、どんなに頭をさげても充分ではないと感じてしまう。
ありがとうございます。
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by erizo_1 | 2007-11-27 02:04 | ライフのツボ
病室で黙って座りながら、こんこんと眠っているパパンを見ていると、いろいろと考える。

だんだん表情から「邪気」が洗い流されていくパパン。

わたしたちが話かければ、「だいじょうぶだよ」とか「苦しくないよ」と応えるのだけれど、やはり環境の変化にはついていけないようで、看護師さんに話しかけられると、
「このひとは誰なのだろう」
といったふうにきょとんとした表情で見あげたり、手が動かないように縛りつけられているのをふしぎそうにじっと見つめていたりする。
自分がどこにいるかわからないらしい。

その邪気のない、ふしぎそうな顔を見ていると、胸が痛くなる。

来週になったらパリに住むイトコの響子ちゃんがちょうど東京にやってきて、パパンにも会いに来てくれる。

「それまでがんばって、元気になろうね」
というと、うんうん。

がんばれ、パパン!

そしてメールを下さったみなさん、ありがとうございます!
いまはレスできませんが、とても励まされています、本当にありがとう。
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by erizo_1 | 2007-11-24 00:08 | ライフのツボ

泣いた赤鬼の巻

今日は病院でちょっとショッキングなことがあり、動転して泣いてしまったエリぞうでした。

今まで泣くところは見せないようにしていたんだけど、かなり動揺してしまって、ついダダ泣きに。

「パパがかわいそうだ」
とエグエグ泣いていると、
「かわいそうじゃないよ。だいじょうぶだよ」
としっかり応えるパパン。

何年か前に父母+ピタローとわたしでいっしょに出かけたカンヌやニースの写真を見せて、
「覚えている? 楽しかったね」
というと、うんうんとうなずくパパン。

できるときにいっしょに旅行しておいてよかったよ。
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by erizo_1 | 2007-11-22 00:11 | ライフのツボ
病院通いのエリぞうです。

父が口から食べものを摂取できるか、試しに配膳してもらい、嚥下のようすをチェックすることに。

口腔の専門の看護士さんがついて、父の口にとろみのある液体を飲ませ、それを飲みこむまでの時間をストップウォッチで計りながら、喉に聴診器を当てて、「ごくん」という飲み込み音を確認するんですね。

この嚥下する筋肉がうまく動かせなくなると、喉から胃にではなくて、肺に少しずつ飲料水や食べ物が流れこんで、窒息あるいは肺炎を起こしてしまうそう。

つまり人間というのは「飲み込める」というのが生存の基本らしい。
しかしお年寄りというのは、この力が徐々に弱ってしまうわけです。

それを考えると、赤ちゃんの生きるための力というのは、すごいよね。
産まれてすぐにお乳を飲む力があるんだから。

ところが残念ながら、パパンはもう喉の筋肉をうまく使えないもよう。

看護士さんの話では、気管につまる可能性が高いので、やはり経口摂取は止めたほうがいいということに。

うーん。悲しい。
この先パパンが快癒して戻る日はないのだろうなあと思うと、しみじみとせつない。

当然ながらそこまで衰えると、痰も切れなくなるので吸引をするわけですが、苦しそうなすがたが哀れで、まともに見ていられない。

介護や看病をしていれば、親の「できれば見ないで済ませたい」部分をたくさん見てしまうわけですから、それはやはり複雑な気分だよね。

いまのところ人生における「複雑な気分のもの」ランキング№1ですね。
そしてまたそれを見てしまえば、あとはあまり恐いものはなくなってしまうともいうね。

パパンはかなり記憶が曖昧になってきているのですが、ときおり鋭いツッコミが。

看護士さんが少しずつ液体をすくって与えながら、「味はどうですか」と尋ねると、
「感心せんね」
とひとこと。

おおっと、批判精神健在なり!
なんちゅうツッコミ精神の衰えない父であろうか。

そんなパパンがひとこと質問を。

「ペコ(わたしのこと)はいつ(NYに)戻る?」

ぎくり! まずい質問を突っ込んでくるなあ。

「だいじょうぶだよ、まだまだいるよ」
と応えるものの、これまた複雑な気分。

おのれは勝手に外国に飛びだしていってしまい、すでにそこでの人生があり、親が必要な時に遠くにいて、たいして力になれないという、この罪悪感。

うーん、困った、困った。
このままNYに戻るのも、後ろ髪を引かれる思い出し、こういうときこそ未来を予知できるサイキック能力が欲しいよ!

さっそくエリぞう電話相談室で、NYのピータローに電話を。

「どうしよう、ニューヨークに戻ったとたん、パパになにか起こりそうな気がするし、でも仕事はあるし、でもママが心配だし、でも意外とパパが安定するかもしれないし、でもいつまでいたらいいってわからないし、先が読めないよう、わーん、どうしたらいいんだー!」

「ブー。ものごとはそうやっては決められないよ。勝手に予想しても、運命はたいてい裏をかくものだよ。だからまず自分の予定にそって帰国を決めて、なにかあったらまた戻ればいいじゃないか」

うーん、それはまあ、たしかにそうか。
不確定要素を基準にして計画はたてられないもんなあ。

いままでの人生経験でいっても、生きていると、じつに思いがけないタイミングで問題が発生したり、ハプニングや事件が起きたり、同時多発プロブレムがあったり、困ったことがダンゴになってやってきたりする。

生死や運命というのはやはり神さまの領域のことで、人間には運命を左右できない。
ひとにできるのは運命に対していかにふるまうか、ということなのだろうね。

わたしは神さまに「こうして下さい」とは祈ることはできないけれど、なにがあっても切りぬける強い心がありますように、と祈ろうと思いマス。
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by erizo_1 | 2007-11-21 00:18 | ライフのツボ

ルー大柴な料理の先生

料理研究家の玲子先生から差しいれのおいなりさんやふろふき大根、栗の焼き菓子、デーニッシュなどをいただく。

お重には笹の葉が飾られていたり、木の芽があしらっていたりして、細やか。
ごっつぁんです。

あいかわらず「エニウェイ、たいへんなのよ」とルー大柴みたいな喋り方をする玲子先生だが、お料理はたしかにうまい!

玲子先生に「ルー大柴そっくりだよ」というと、「失礼ね!」と自分オリジナル説を唱えていた(笑)

コーチングをしている敦子先生とも会って近況報告。

敦子先生は三人の男の子をもつお母さんなのだが、いつ見てもきれいにしていて、まさに雑誌に出てきそうな美しいマダムなので、「すげーなあ、どうやっているんだろう」と感心するし、「おのれは外見に努力していなくて、いかんなー」と励みにもなりますね。

がんばっているひとに会うと、元気をもらえていいです。

メールをくださったみなさん、本当にありがとう。
コメントくださったかた、ありがとうございます。

こういうときにブログというのはじつにありがたいものですね。

いざという時に本当に頼りになるのは、友だちや知りあいのネットワークで、ひとこそ人生のセーフネットだと思います。
ありがとう。
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by erizo_1 | 2007-11-18 10:34 | ライフのツボ
メディカルソーシャルワーカーさん、そして担当医の先生と面談。

MSWさんからいろいろと説明を聞いて、わたしにとっては目ウロコな事実も多くて、びっくり。
いま日本の老人医療はそういうことになっていたのかー!

医療区分だのなんだの、むかしとはずいぶん事情が違ってきているらしい。

母がかなり動転しているので、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と励ます。
うちのママンはイヨーな心配性なので、面倒なことはぜんぶ任せてもらって、とにかくキリキリしないで欲しいんだよなあ。

パパンはうつらうつら状態。
意識のほうはときどき混乱するものの、まだ非常にクリア。話しかけてあげると、ちゃんとうなずく。

母といっしょにスイスに行ったときの写真を見せてあげて、「覚えている?」と尋ねると、うんうんとうなずく。
「早くよくなってまたモンブランに登るのだ!」
うんうん。
「早くよくなっておいしいものを食べようね」
うんうん。

せめて夢のなかでも楽しかったときの光景を思い出して欲しいなあ。

このままは放っておけないので、米国帰国は延期。
ピータロー、ごめんよ。

さまざまな難問が立ちはだかってきて、ピータローに「うえーん」と泣きながら電話したら、

“ You can do it! Never give up! “
“ Be strong, I am proud of you! “

とかなんとか、ビリー隊長のようなセリフで励ましてくれたのであった(笑)
ここはどこのブーツキャンプだよ。

しかしビリー隊長のセリフはやっぱり効果があって、
「くそー。やるぜ!」
「おれはできるぜ!」
と発奮したエリぞうでした。やはりブーツキャンプは効くぜ。

たぶん海外在住者のみなさんはきっと誰でも同じ不安を抱いていると思うんだけど、いざ親になにか起きたとき遠くにいるというのは、ヒジョーに不安でもあり、漠然とした罪悪感もあるものなんですよね。

これはもう海外在住者全員、同じ悩みではないでしょうか。

じつはうちの父は十三年前にもいちど倒れて、救急車で運ばれているんですよ。
そのとき担当医さんが万一に備えて、ニューヨークにいる娘さんを呼びよせたほうがいいのではないかといったときに、父は頑として、

「娘には連絡するな」

といったらしい。
なぜなら「ペコ(わたしのこと)が動転して飛行機に乗って、事故にでもあったらたいへんだから」という理由だったんだそうだ。

いや、いくら動転したからって、わたしが運転するわけじゃないんだから事故は起きないと思うんですけどね。

でもそんな危機のときにでも、まず子どもの身を案じてくれる親心というのはありがたいもんだなあ、と感じた覚えがあります。

今回ふしぎなことにわたしの帰国にあわせたみたいに翌日から具合が悪くなってしまったパパン。

母に迷惑かけないように気力でがんばっていて、わたしが戻ってきたとたん、安心してしまったのかもしれない。

ケアマネさんが、
「娘さんの帰国にあわせて倒れたのが、なによりの幸運です。お父さんはまだ運を使い果たしていませんよ」
といってくださったのが、非常に嬉しかったです。

パパン、だいじょうぶさ!
ちゃんと運を運んでくるからね!
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by erizo_1 | 2007-11-14 23:23 | ライフのツボ
パパン入院。病院通いのエリぞうです。

見舞いにいくと、酸素マスクと点滴をつけたまま、こんこんと眠っているパパン(涙)
ん? きょうは白いミトンのような形のグローブをはめているぞ。

入院前に説明はあったのだけど、これは動きを制限するための用具らしい。
なにしろパパン、自分で勝手に酸素マスクだの、なんだの気にくわないモノをはずしてしまうのだ。
そのせいで一時期的にミトン着用になったもよう。

いわゆる拘束プレイともいうよね。

父は気にくわないらしく「取って」とわたしにいうのだが、うーむ、それはだめなんだぜ。かわいそうだけど、仕方がない。

「我慢しないとだめだよ、看護士さんがつけてくれたんだから」
というと、
「こんなのはずしても平気なのだ」
といった意味のことを、もごもごいう父なのであった。

こらこら、患者が勝手に決めてどうする。

うちの父は規則に従わないタイプで、5月に入院したときも(そのときはまだ歩けたので)わたしが見舞いにいくと、「いっしょに喫茶店にいこう」といって病院のカフェまで勝手にコーヒーをしにいっていたのであった。

看護士さんから「飲んだ量を記載してください」とか「カフェインはよくない」とか「院外に出てはだめ」といわれているのに、完璧にシカト。

「えーッ、まずいよ」といっても、「いいのだ」と勝手にいうパパン。

おい、患者が院内ルールを決めてどうする!
なんちゅうゴーイン・マイウェイなじいさまであろうか。

酸素マスクと点滴になっても、動けなくなっても、ほとんどしゃべれなくなっても、まだゴーイン道をつらぬこうとするパパン。

人間どこまでいっても気質は変わらないもんですね(汗)

しかし旦那のピータローにいわせれば、父の性格は「わたしとそっくり」らしい。

ちょっと目を離すとふらふらすぐ歩き回る、集団に従わない、自分の考えに没頭していてまわりに注意がいかない、規律に従わない、勝手におのれのルールに則って生きる、頑固、イヨーにおのれの主義主張がある、といったところが、そっくりらしい。

そういや10年くらい前のこと、ピータローとわたし、そして父母といっしょにサンフランシスコやヨセミテ自然公園に旅行にいったんですが、そのときもツアーバスの10分の休憩時間に、父がさまよい歩いてどこかに消え、大騒ぎになったことがあったんですよ。

母が動転して、われわれが探し回り、アメリカ人観光客がみーんなバスで待っているところにようやくパパン登場。
母が怒ったのだが、本人は「トイレを探していた」のひとことで、反省ゼロなのであった。

「その行動はまさにきみに受け継がれているよ、ブー」
というピータロー。
「そんなきみをテイクケアできるのは、ぼくしかいないね、ふふふ」

ちぇ。自慢げにいわれると、なんとなく悔しいぜ。
よーし。おれも一生ゴーインマイウェイになって挑戦してやるからな、みていろよ!>なんのために。
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by erizo_1 | 2007-11-13 23:23 | ライフのツボ
さてさてエリぞうイン東京です。

今回の帰国は父の介護のためなんですが、じつは父が寝たきりになって、かなりヤバしな状況だったのでした。

近所の医者は往診してくれないし、経口ではもはや食事を摂れないまま、どんどん衰弱していってしまうパパン(涙)

で、ソーシャルワーカーの看護士さんと介護業者のケアマネさんに来ていただいたのですが、その場で父を看るなり、「脱水症状を起こしているから即刻入院したほうがいい」とのことになり、ただちにテキパキと段取りをしてくれて入院となりました。

ああ、よかった、一命を取り止めひと安心。

ワーカーさん、ケアマネさんともすばらしいひとで、ケアマネさんはなんと父を抱きかかえて車に乗せてくれたのでした。

老人とはいえ、力がぬけきっている人間の体というのは重いもので、わたしは介護をしながら、
「どひー、人体ってこんなに重いんすか、マジ?」
とたまげていたんですよ。介護ベッドがあっても、シロートにはけっこうむずかしくて、じわじわ腰痛になってくる。

ほら、「エイリアン2」で最後にリプリーが作業用ロボットを全身に装着するじゃないですか、ああいうふうに装着できるスーパーアームがあったらいいなあ、とか空想していたわけです。

なので、父を横抱えにして、車の乗り降りを介助できるケアマネさんの姿にはびっくり。がーん! すげー!

「ちょっとしたコツがあるんですよ」と謙遜されていましたが、うーむ、すごい。すごすぎる。

そしてなによりありがたかったのが、おふたりの親切さ。
親身になって相談にのってくれ、つきそってくれ、的確な段取りをしてくれ、本当にありがたかったです。後光がぴっかり差して見えました。

介護がらみの仕事というのは、たんに仕事熱心というだけではできなくて、もともとやさしい心映えのひとでないとできないでしょうね。

世の中にはこんな立派な、すばらしいひとたちがいるのであるなあ、とつくづく感心したエリぞうでした。

うおおお、おれは今猛烈に感動している!(目の幅で涙ダダ漏れの星飛馬)

ところで余談ですが、たまたまソーシャルワーカーさんがなんとわたしの名前を知っていて「ボーチェで書いていますよね? フラウでも書いていましたよね?」といわれてびっくり!

ひえー。お恥ずかしゅうございます。へんな普段着なのに!

こういう時にいつも思うのが、「こうやって世のため人のためになる仕事をしているひとたちがいるのに、おのれはなんら世間さまの役になっておらんのー」という感慨なんですよ。
いやもう、ほんとに駄文書きですいません、という感じ。

本や雑誌というのは、やはり「ゆとり」の部分にあるものなので、わたし自身はむかしから社会の中心にいないという感覚は持っているんですね。

ましてやわたしは社会派ジャーナリストではありませんから、物書きの仕事を世間における「グリコのおまけ」みたいな部分でやらせてもらっている、とヒジョーに強く意識しています。

しかしわたしのような人間に、なまじ介護業だの福祉だのをやらせた日には、大ひんしゅく大迷惑苦情殺到になるのは目に見えているわけで、まあ、ひとにはそれぞれ適材適所があるものなのかな、と(笑)

わたしにとっての天職は「書くこと」で、才能といったら、これしか持っていない。

としたら、そのなけなしの才能で、ひとのお役にたてること、まあ、ひまつぶしになるとか読んで笑えるとか気分転換とか、そんなことでいいから、なにかしら読者を楽しませる物書きになれたらいいなと思います。金とか名前とかそんなことじゃなくてね。ひとに楽しみを与えられたらな、と。

というわけで、いまさまざまな現場で、ひとを助けるために働いているみなさん、ご苦労さまです。
そしてありがとうございます。

あなたこそ地の塩です。
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by erizo_1 | 2007-11-11 22:12 | ライフのツボ
しばらく前のことになりますが、イアン・マッケラン主演の「リア王」をブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージックで観てきました。

サー・イアン・マッケランといえば、そう、「ロード・オブ・ザ・リング」や「Xメン」でおなじみの名優ですね。

わたしは学生時代にシェイクスピア・シアターという劇団に入っていたので、「リア王」は何度か観ているんですが、若いときは観ても「ふーん」という感じであったよね。

「ふーん、これを名作というのだろうなあ」みたいな他人事だったんですよ。

ところがこの年になって観ると違うね。
ひしひしと身近な問題として考えされられてしまいますわ。

ひらたくいえば、このリア王という戯曲、「老人問題」の物語ともいえる。

偉かった王さまが、おべんちゃらをいう姉娘二人に家作を与えてしまって、おせじがいえない末娘をおっぽりだしてしまう。

ところがじいちゃん、偉かった時の意識のままで、自分が引退したとは思っていない。
わがまま放題なもんだから、冷血な姉娘二人が同居をいやがって、ついに徘徊老人に。

で、じいちゃんはどんどん狂気(というか、どう見てもアルツハイマー)に陥っていってしまい、末娘が迎えに来たときは時既に遅く、結局のところみんなが不幸のどん底になりましたとさ。

という、ものすごい機能不全な家族の物語なのである。
もう気持ちまっ暗ですよ。

↓こんなに立派だったパパンが
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↓ついにはこんな徘徊老人に! ああ、悲惨!
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とにかくイアン・マッケランが狂気に陥るさまが、すごい。というか、本当にアルツに見えて、やばすぎる。

だって舞台でべろんちょ、と裸になるんですぜ。
正確には上着をもちあげ、パンツをずりさげ、ちょうどあそこだけすっぽんぽんになるんですね。

ええ、アレがもろ見えです。最前列のひとはキョーレツだったでしょうね。目の前でぶらぶらしているんだから。

いやー、たまげた、驚いた。あんなリア王観たことないです。

あまりに真に迫る要介護老人ぶりに、思わずヘルパーさんを呼ぼうかと思ったくらいです。

えー、余談になりますが、マッケラン氏のアレはデカくて、
「さすがはサー!」
というサイズでございました。
いやあ、騎士ともなると、そこらの平民とはスケールが違います。

イアン・マッケランといえばゲイを公言している人で、ゲイ人権の活動家としても高名ですが、きっとその世界でモテモテでしょう。

と、いらんところでつい感心してしまいましたが、本題に戻りまして、おかげで「この芝居ってもろに老人問題だったんだなー」と痛感しましたよね。

だって現実にいくらでもありそうだもん。

「あそこのおじいちゃんもむかしは偉かったのにねえ、認知症が進んで、たいへんみたいよー」
「娘さんのところ、たらいまわしなんでしょ?」
「そうよー。こないだなんて、雨の日に徘徊してたんだから。おじいちゃんったら、道で服脱いじゃって、たーいへん」
「あーあ、年取るって悲しいわよねえ」

みたいな感じ。
いや、高尚なシェイクスピアの芝居なのに、思いっきり庶民的かつ現実的に鑑賞してしまって、すいません。

でもマジな話、シェイクスピアの芝居を、これほど身近に感じたことはなかったですよ。

なんたってわたしや周囲はちょうどその問題にぶつかる世代ですから、もはや他人事の名作じゃない。
むしろ「いま、ここにある危機」というタイトルの芝居にして欲しかったくらいです。

観客の年齢層はかなり高かったんですが、みなさん胸のうちで思うところがあったでしょうねえ。
悲しい、悲しすぎる。

もしやシェイクスピア翁、500年前に既に今日の老人問題を予期していたのでしょうか?
さすが劇聖。名作とは、時代を超えるものです。
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by erizo_1 | 2007-11-06 20:34 | エンタメの殿堂