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コラムニスト 黒部エリがニューヨークからお届けします。Blog by Eri Kurobe


by erizo_1
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夢のなかの白い船

一年ほど前のこと、わたしは大切な友だちを亡くしました。

06年の夏に、大切な友だちが突然クモ膜下出血を起こして、倒れたのです。
そのまま入院となり、何度か手術を受けていました。

若いときいっしょのライター事務所で働いていた女性です。
いっしょに事務所に寝泊まりして仕事したり、話しあったり、口論したり、笑ったり、悩みを打ちあけたりした、だいじな仲間でした。

彼女はわたしよりも年下だったし、酒も煙草もやらない女性であり、結婚して子どももいたんですね。
その彼女に限ってなぜ? と信じられない思いでした。

そして一昨年の暮れ、日本に帰国したおり、お見舞いに行ったのですが、病室を訪ねたとき、わたしはショックで立ちすくんでしまったんですね。

なぜなら彼女は彼女でありながら、すでに違うひとであったから。

まったく会話ができないどころか、わたしを見ても、なんにも反応がない。
ぴくりとも動かないまま、寝たきりになっている。
そばに誰が来たかもわかっていないようでした。

わたしは未熟なもので、目の前にいるそのひとが、わたしのよく知っている彼女ではなくなっていることにまず打ちのめされてしまったんですね。

死の床にある病人を見舞うのは誰でも胸が痛むものですが、なによりショッキングなのは、そのひとがかつて自分の知っていた大好きなひとではなくなってしまうことではないでしょうか。

テレビや映画なら死んでいくヒロインは最期まで美しいヒロインでいる。
でも現実は違うんですよね。
病人は、すでに自分がよく知っていたそのひとではなくなってしまう。

これはつらいです。
友だちや肉親が崩れていくすがたを見るのは、とてもせつない。

ここにいるのは、かつてのあのひとではない。
わずかにこの世に留まっている体なのだ、ということが、いちばん胸にこたえました。

そのときのわたしはどうしていいかわからず、結局ほとんどなにもできないまま立ちつくしていました。

それでしばらく佇んでいたあと、最期に旦那さんと息子さんの名前を出して、「○○さんも××くんも会いに来るからね」といったんですね。

すると、彼女の目がかすかに光ったのです。

身動きもせず、なんの反応もなくなっている彼女の瞳の奥に、ぽっとほんの小さな灯りがともった。

彼女を最期の最期までこの世界につなぎとめていたのは、旦那さんと息子さんへの愛だったのでしょう。

その瞬間、ああ、彼女の魂はこの動かない肉体の奥にまだいるのだ、と感じました。
たしかにそこには彼女がいたのです。

それから二ヶ月ほど後のこと、夢のなかで彼女に会ったんですよ。

夢のなかでは、彼女はすっかりよくなってベッドに起きあがっているんですね。
そこにいた彼女は、わたしがむかし知っているままの彼女でした。

「なんだ、なんでもなくてよかったじゃない、心配したよ」
とわたしも笑って話しているんですよ。

すると、彼女は港で待っている汽船に乗って家族の住む町に戻るんだ、という話をしてくれました。

病室の窓からはなぜか港にある船が見えました。
白く輝大きな汽船でした。

みんなでそこに乗り込むのだ、と彼女はにこやかに話していました。

それが覚えている最後です。
あまりに楽しかったので、夢から目覚めたあと、彼女が現実にはまだ入院していることが信じられないくらいでした。

たとえ夢であっても、わたしはかつての彼女、あの元気で、ハキハキと話していた頃の彼女に会えてとても嬉しかったのです。

そしてその夢を見てから一ヶ月も経たないうちに、残念ながら彼女は他界しました。

ご家族はどれだけ悲しかったことでしょう。
わたしにとっても当時はあまりにショックな出来事で、心のなかでどうまとめていいのかわからず、とてもブログに書けるような内容ではなかったんですよ。

しかし一年経ったいま、あの夢の船のことをときおり考えます。

あの白く輝く美しい汽船はどこにむかっていったのか。
彼女を乗せてどこに旅だったのか。

夢のなかで見た彼女の笑顔から、その旅はきっと心躍る、楽しいものなのだろうと思います。

夢のなかの白い船。
青い波頭の彼方には、どんな場所が待ち受けているのでしょう。

亡くした友だちや、亡くした父のことを考えながら、その船のことを思い浮かべます。

Hちゃん。
いつかまた会えるといいね。
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by erizo_1 | 2007-12-24 13:39 | ライフのツボ

ニューヨークに到着

ニューヨークに戻ってきました。

友だちに会って、ちょっと元気を回復。
まだ時差ボケ真っ最中です。
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by erizo_1 | 2007-12-24 04:52 | ライフのツボ

I miss you.

ようやくパパンの通夜と告別式が終わりました。
兄の仕事関係の方が多く参列してくださったので、とんでもなく盛大な式になりました。

すべて受付や事務を担当してくださった兄の会社の方たちには本当に感謝です。

エリぞうは最期のお別れで号泣してしまいました。
出棺というのは、あまりにせつないですね。

御骨が家に戻ってきたので、霊前にお花を飾りました。
ニューヨークの友だちからも、三つもすばらしい花をいただきました。

パパンはバラ作りが好きだったので、たくさんの花に囲まれて、きっと喜んでくれているでしょう。

それにしても葬儀のあとに淋しさがどっと来るとよくいわれますが、本当ですね。

近所の道を歩いていても、ああ、ここをよくパパンが散歩していたなあとか、文具を買いにいけば文房具好きのパパンがこの店で買っていたのかなあとか思い出して、そのたび涙がこみあげます。

いつも「ペコちゃん」と呼んでくれていた父。
いつもわたしのことを心配してくれていた父。

いつも父が座っていた席に、父の姿がないのが淋しいです。

I miss you, daddy.
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by erizo_1 | 2007-12-14 23:53 | ライフのツボ

逝くひとの力

今回のことでは、いろいろな方からメールをいただき、とても感謝しています。

友だちのみならず、読者の方からも何人もメールをいただきました。
ありがとうございます。
闘病をされたお父さまを看とった経験のある方や、家族と遠く離れて住んで心配ししている方。
さまざまな苦労をしている方がいるのだなあ、とどのメールにも深く共感を覚えたものです。

いまご家族の看病をしているかたたちみんなに、どうかがんばって下さいね、と応援したい気持ちです。

さてわたしは今回いろいろと友だちには力になってもらったんですが、何人かの身内を既に看とっている友だちが、こう話してくれたんですね。

「ふしぎなもので、死んでいくひとはいちばんいい時を選んで逝ってくれるのよね」

もちろん事故や災害、あるいは急病や突然死といったケースではなくて、あくまで老衰や長患いに限った話ですが。

どういうわけか逝くひとは必ず周りにとってもいい日を選んでくれるのだ、と。

わたしも半信半疑でその話を聞いていたんですが、たしかにこれはあるかもしれないな、と今回感じました。

父が亡くなる一週間ほど前のこと。
父の容体について、兄とあれこれ話したんですよ。

で、兄が新年そうそうにミラノへの出張があるとのことで、その出張について少し迷っていたんですね。

「このぶんだと出張をとりやめることになるかもしれないなあ。
まあ、会社だから、おれが行けなくなれば、必ず代わりの人間を立てられるんだけどさ」

それを聞いたとき、わたしはなぜか確信があってこういったのです。

「だいじょうぶだよ。
パパはお兄ちゃんの仕事の迷惑になるようなことは絶対しない。
きっとパパは年内に亡くなると思う。
お兄ちゃんは必ずだいじな出張に行けるよ」

兄は「そんなの根拠がないじゃん」と応えていましたが、わたしには父を信頼する気持ちがあったんですよ。

父は決して家族に迷惑はかけないだろう、と信じていました。
それは父のスタイルではないから。

亡くなる数日前から父はしゃべることもできなくなり、なにかこちらが尋ねると、うんうんとうなずくことしかできませんでした。

なにをいっても、うなずくことしかしないので、内心もうわかっていないんだろうなあと思っていたんですね。

それで血圧が下がったときに、わたしが枕もとで、

「お兄ちゃんを呼ぼうか?」

と尋ねると、きっぱりと首を横にふったんですよ。
もういちど尋ねても、やはりかぶりをふって、あきらかに意志がある。

そんな状態でも、兄に仕事をおいて来てもらいたくない、自分はだいじょうぶだといいたかったらしいのです。

そして実際に父は誰にも迷惑のかからない日を選んで逝ってくれました。

わたしにとってはピーターがNYから来てくれている間であったことが、どれだけ心強かったことか。

ふしぎなことに、その時期を選んでくれて、わたしは父に感謝しています。

多くの海外在住者のひとたちにとって「親の死に目に会えないのではないか」という不安があったり、あるいはいま日本に住んで介護の必要な身内を抱えながら、先行きに不安を感じていたりする方も多いでしょう。

けれども生きている人間たちがあれこれとわずらう以上に、じつは死に逝く方たちはよくわかっているのではないか、という気がするんですね。

死に際するひとには、なにか見えないものも見えているのではないでしょうか。

産まれるに時があり、死ぬに時がある。
逝くひとの「力」というのを、わたしは信頼してもいいと思っています。

いま不安を抱えているみなさん、だいじょうぶですよ。
お身内を信頼して、だいじょうぶです。

あなたのことをだいじにしているひとは、意識がなくなっても、顔がわからなくなっても、最期の最期まであなたのことを考えてくれています
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by erizo_1 | 2007-12-11 00:48 | ライフのツボ

父が永眠しました

6日の夜に父が亡くなりました。

担当医の先生から余命についてはお話があったので、わたしたちも覚悟はしていたのですが、やはり亡くなった時は信じられない気持ちでいっぱいでした。

せめてあと数日は保つだろうと思っていたのですが、逝くときはじつにあっけないものですね。

脈拍が落ちてから、昏睡状態にも陥らないまま、数時間のうちに亡くなりました。

11月4日にわたしが帰国して、9日に父が入院、そして一ヶ月もしないうちのお別れとなってしまいました。

どういうわけかわたしが帰国した翌日から寝込んでしまい、あっという間に衰弱して、入院することになった父。

「ペコが帰ってきたら、急に立てなくなってしまったよ」

やつれた顔でそういっていましたが、きっと母には迷惑をかけたくない一心から、わたしが帰ってくるまでがんばっていたのでしょう。

入院した父がどんどん衰弱して、食事も摂れず、しゃべれなくなっていき、寝たきりのまま痰吸引を受けて苦しがったり、頸動脈から点滴をされたりしている姿を見るのは、やはり忍びなかったです。

それでも亡くなる二時間ほど前まで、しっかりと意識もあり、家族のこともちゃんとわかり、

「お父さん、ペコですよ。ペコがここにいますよ」

と話しかけると、うなずいてもくれました。

遠い国に住んでしまい、そんなにしょっちゅう会うこともなく過ごしていたわたしにむかって、数年前から、

「ペコ、もっとちょくちょく顔を見せに、帰ってこいよ」

といっていた父。
父は無口だったので、親子で話すといったこともありませんでしたが、しょっちゅう訪れることもなく、申しわけないことをしたと感じています。

親不孝な娘でしたが、それでも最期の一ヶ月間に親孝行をさせてもらえたことは、とてもいい機会だったと思います。

毎日病院に通って、父に話しかけ、だんだんことばが出なくなっていく父の手を握りしめました。

考えてみれば、父の手を握ったなんて、小学生のとき以来ではないでしょうか。

お気に入りの姪であるキョウコちゃんがパリから来て、お見舞いに来てくれたとき、父が力をふりしぼって握手していたこと。

いつも世話をしてくれる看護婦さんから「黒ちゃん、元気?」と声をかけられると、にっこり笑っていたこと。

看護師さんが痰吸引をすると、父はとても苦しがり、終わったあとに目にいっぱい涙を溜めていたものです。

それでも看護師さんが、
「黒部さんはやさしいですよ。痰取りがつらいだろうに、終わると、ありがとうっていってくれますから」
といってくださり、体が動かなくなっても頭や心はまだちゃんと動いているのだと知って嬉しく感じました。

亡くなる前日、ピーターといっしょに紫色に鬱血している足を揉んであげると、喜んでくれていたようです。

みんなに会うまではこの世に留まっていてくれて、お別れをしてから、違う世界に旅立っていったのでしょう。

じつはちょうど亡くなった日の朝、バスを待ちながら、わたしは父に心のなかで話しかけたんですね。

「ねえ、パパ、ペコはどうしたらいいんだろう。
いつニューヨークに帰ったら、いいんだろう。
いつまで日本にいればいいんだろう。
ペコも早くうちに戻りたいよ」

その日の午後に容体が急変して、父は逝ってしまいました。
まさか父がわたしの声を聴いたとも思いませんが、父を死に急がせたような気持ちがして、罪悪感にさいなまれます。

死の間際にはほとんど骨と皮だけに痩せこけてしまった父でしたが、最期までよくがんばったと思います。

「最期の最期まで意識があるなんて、お父さんはとても強いひとだったんだよ」

父が永眠したあと、号泣していると、ピーターがこう慰めてくれました。

「彼はとても独立心が強くて、意志力の強いひとだった。
あんなふうにずっと動けない状態でいるなんて、彼は望んでいたわけがないよ。
彼は最期の最期まで、死に自分をあけわたさなかった。
最期までしっかり意志を持ち続けた。
彼は決して苦難にくじけない心をお手本に見せてくれたんだ。
お父さんの強さは、ちゃんときみに受け継がれているよ。
きみのなかに、お父さんは生き続けているんだよ」

お父さん、長いあいだご苦労さまでした。
そして本当にありがとう。

励ましのメールをくださったみなさん、ありがとうございました。
この場を借りて御礼申し上げます。
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by erizo_1 | 2007-12-09 01:15 | ライフのツボ
ピータロー隊長到着!

じつは前回も今回もピータローは日本に旅行にいって、パパンに会いたいといっていたのだけど、わたしはきびしく「だめ」と断っていたのだ。

外国人の旦那さんを持っているひとなら、ほとんどの妻が持つ悩みだと思うんだけど、日本語のできない男をひとりつれていると、まるで子ども連れみたいに手間がかかるんだよね。

こっちは実家の家事だの手続きだのやらなくちゃいけないことが山積みなので、
「今回はだめ。次回にしよう」
とはねつけてしまったのだった。

「えーッ、きみのお父さんが元気なうちに会っておかないと、意味がないじゃないか」
とぷりぷりしていたピータロー。
(いや、もしかするとたんに東京で鮨を食べたかったのかもしれないが)

ごめんよ、ピータロー。
おれが間違っていたぜ。やはり会えるときに会っておかなくてはね。

というわけで、ちょうど仕事の出張業務も組み入れて、ピータローがNYからやって来た。

うわ、東京で見ると、ふだんより1.5倍くらいデカく見えるぞ(笑)

わたしが結婚するとき、相手がアフリカン・アメリカンだというので、父はかなり渋っていたんですよ。

「アメリカではどうしても差別があるから、ペコが結婚して苦労する側にまわるのは忍びない」
といっていたパパン。

けれども、いったん受けいれたら、ピータローととても仲よくなったのでした。

実際のところをいえば、わたしは結婚して国際結婚だからということでは、まるで苦労を経験していないです。

結婚してよかったなあ、という感慨しかないのはラッキーだったと思います。

父はむかし外交官をやっていて英語を話せるものだから、ピータローを大江戸博物館へ連れていってくれたり、東京案内してくれたりしました。

ピータローもパパンとお酒を飲むのが好き。
きびしく生活指導をする母のことは内心恐れているのだが、パパンと晩酌につきあうのは楽しかったよう。

病室を訪れたピータローは、
「寝ている病人は足をマッサージしてあげるといいんだよ!」
とパパンの足を一生懸命さすってくれました。

じいさまの足をさすってやるなんて、いいヤツだ(笑)

元気もりもりのピータロー隊長のおかげか、パパンも今日は元気で、アルバムもよく眺めていた。

がんばれ、パパン。
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by erizo_1 | 2007-12-03 23:45 | ライフのツボ
パリから来たイトコのキョウコちゃんがまたお見舞いに訪れてくれた。

なぜかキョウコちゃんに右手をさしだして、握手をするパパン。
そして手を握ったまま、うーん、うーん、うーん、と眉間に皺を寄せて苦しそうな顔をしている。

むむむ。どうしたんだろう?

「なにかキョウコちゃんに伝えたいんだね?」

どうやら「遠路はるばるよく来てくれたね」といったことをいいたいようなのだけど、うまくことばが出てこなくて、もどかしいらしい。

「パリでキョウコちゃんはりっぱにやっているから、なんにも心配しなくていいよ!」

そう伝えると、うんうんとうなずくパパン。
涙もろいキョウコちゃんはやっぱりウルウルしていた。

さてもう何年も前のことになるが、パパンとママン、そしてピータローとわたしの四人で、パリに遊びにいったことがある。

キョウコちゃんのアパルトマンで食事をごちそうになったり、ノミの市に出かけたりして楽しい旅だった。

しかし印象深い思い出といったら、なんといってもタクシー事件なのだ。

キョウコちゃんとピータローとエリぞうでパリの夜に繰り出し、タクシーで帰ろうとしたときのこと。

寒いなかでわたしたちがタクシーを待っていると、空きタクシーがようやく見つかり、ああ、やれやれ、車が停まったと思った刹那。

いきなりダーッとわきからパリジャン男が駆けてきて、そのタクシーに乗りこんでしまったのだ。

あーッ、なんちゅう割り込みむかつく!

すると、すかさずキョウコちゃんが走り寄って、

「ムッシュー、なんとかかんとか、べらべらべら」

とその割り込み兄ちゃんに、早口のフランス語で文句をつけたのだった。

(想像訳:ちょっと待ってよ、それはないでしょう、わたしたちが先に待っていたのよ、割り込みしないでよ、といっていたのだと思う)

「すげー、こいつ、フランス語でケンカしている
とたまげたわたし。

さらに短気なピータローは怒髪天をつきまくり(しかしハゲなので、天をつく髪はないわけだが)タクシーの窓を叩くと、兄ちゃんに怒鳴りまくって、運ちゃんにも英語で文句をいいたてたのであった。

「すげー。こいつ、パリにまで来て、英語でケンカしている
とさらにたまげたわたし。

すると、今度はタクシーの運ちゃんがベラベラとなにやらフランス語で怒鳴り、乗っていたパリジャン兄ちゃんを追い出したのだ。

そして次の瞬間、ぶーん、とそのまま車は走り去ってしまったのであった。

「すげー! ありえねー!」
と三段階スライド方式にたまげたわたしでした。

これがNYのキャブドライバーだったら、客を降ろして走り去らないと思う。きっとニューヨーカーなら、

パターンA)ファックユーと怒鳴って、そのまま客を乗せて走り去る。
パターンB)わりこんだ客を追い出して、わたしたちを乗せる。

このどちらかだと思うんですよ。
どんなにテンパッていても、絶対に商売を忘れないはず。

ところがパリの運転手は、
「メルド! 金なんかいらねえから、面倒はごめんだぜ」
という態度。

金より面倒を避けるというあたりに、フランス魂を感じた事件ではありました。

ていうか、そんなつまんないこと忘れて、もっとおしゃれな思い出を覚えていろよ、自分! て話ではあるんだけどね(苦笑)
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by erizo_1 | 2007-12-01 22:17 | ライフのツボ