サレジオ教会へ亡き友に会いにいく
2008年 11月 04日
碑文谷のサレジオ教会にて、「死者の日」のミサに参加。
もう16~17年ほど前のことになるのだけれど、東京でジュニア小説家をしていた頃、仲よくしていた姉妹の友人がいた。
お姉さんはドイツ留学中のピアニストで、妹さんのほうは役者をめざしていて、当時はまだ大学生。
わたしは妹のシュウコちゃんとよく遊んだり、細々した仕事をしてもらったりしていたのだけれど、アメリカに行ってから連絡を取ることはなくなっていた。
それが今年の9月に、お姉さんのマイコさんが、わたしのブログを見つけて連絡をくれたのだ。
現在マイコ・ミュラーさんは、プロのピアノ/チェンバロ奏者として活躍中。
バッハの演奏で名高く、CDをシリーズで出し、コンサートもコンスタントに行っている。
懐かしいメールにすっかり嬉しくなって、
「シュウコは元気?」
と尋ねたところ、戻ってきたのは思いがけない返事だった。
じつはシュウコちゃんは8年前に他界していたのだという。
まだ29歳の若さで、突然の死だったらしい。
まったく予想もしていなかったことで、信じられなかった。
わたしよりずっと年下なのに。
亡くなるなんて考えられない。
シュウコちゃんとよく遊んでいた頃を思い出す。
恋愛についてああだこうだと飽きずに話していたことだとか、彼女の出ている芝居を観に行ったことだとか。
当時わたしは自分の仕事のことで悩んでいて、精神的にもダウンしていた。
なにしろジュニア小説を書いていた時は部屋に缶詰になっていて、出かけるのは食料品を買いこむ時だけ、あとはワープロにむかって原稿を書きまくる日々だったのだ。
数日間誰とも話さないこともめずらしくなく、こもりっきりの生活で、本の売上げ部数のプレッシャーに悩まされ、ジュニアというジャンルでやることに、窮屈な服を着ているような苦しさがあった。
おかげで体を壊し、髪がごっそり抜けたりもした。
そんな当時よくうちに遊びに来てくれていたのがシュウコちゃんで、とてもピュアでおもしろい子だった。
ごはんをいっしょに食べて、あれこれ喋るだけで、気分的に救われたものだ。
「だいじょうぶだよ、先生(彼女はわたしのことをそういう渾名で呼んでいた)
だいじょうぶだって」
と励ましてくれていた声が今でも耳の奥に残っている。
結局のところ、わたしは海外に飛びだしてNYに住むようになり、いっぽう彼女は彼女でさまざまな道を模索して転職をしていたようだ。
そのまま会う機会はなくなっていたものの、当然いつか再会するだろうと信じていた。
それなのに、8年も前に亡くなっていたなんて。
彼女は今サレジオ教会に眠っているという。
マイコさんやご家族といっしょに「死者の日」のためのミサに出席して、地下にあるクリプト(納骨堂)に会いに行った。
白く冷たいロッカー式のクリプトに、懐かしい名があって、泣けてきた。
シュウコ、会いに来たよ。
もうこの世にあなたがいないなんて、いまだに信じられないよ。
あの頃わたしたちはもっと若くて、生意気で、そのくせ不安だらけで、世の中とうまくやる術がわからず、よく悩みを打ちあけあっていたよね。
たくさんの時間をともに、夢を語ったり、冗談をいったり、笑ったり、なんでもない話をして過ごした。
今ならわかる。
そうやってなんでもない話をできるというのは、なんという贅沢なんだろう。
シュウコ。
短い間だったけれど、友だちでいてくれて、ありがとう。
この世にいてくれた短い間に出会えてよかったよ。
あなたの記憶は若い日のままで残っている。
あなたは永遠に年をとらない。
いつか再び会える日が来たら、きっとすぐにあなたのことに気づくだろう。
だから、友よ。
その時にまた長い、長い話をしよう。