必見のカルト傑作! 「グレイ・ガーデンズ」
2009年 04月 17日

これは実話をもとにした映画です。
元ネタになった1975年度のドキュメンタリー映画(アルバート&デヴィッド・メイスルズ監督)の「グレイ・ガーデンズ」
これはすごいよ、傑作です。
いったい「グレイ・ガーデンズ」とはなにか?
これはNYの富豪たちの住む地として有名なイースト・ハンプトンにある広大な屋敷のこと。
ここに元財閥のイーディス・ブーヴィエ・ビール母子が住みながら、彼女らは収入がないために、どんどん荒れはてた化け物屋敷になっていくんですね。
しかしこの貧乏暮らしでありながら、リトル・イーディはファッションピープルの間では永遠のファッション・アイコンともいわれている存在なのだよ。
このドキュメントは大傑作よ!
ファッション業界、ビューティ業界、そしてお芸業界のひとはぜひとも必見!
とにかく一見の価値あり!
わたしが「グレイ・ガーデンズ」を知ったのは、友だちのアキームさんから。
ドキュメンタリー映画のDVDを貸してもらって、観たのだけれど、ぶっとびましたね。

すげー!
サイコー!
一発でやられてしまいました。
さすが伝説のカルト映画。
もうアッパーカットくらって鼻血ですよ。ゲフッ!
この映画を元ネタにした話が舞台化されてブロードウェイで上演されています。
アキームさんが「グレイ・ガーデンズ」のブロードウェイ観劇レポートを書いていますので、こちらをご覧下さい。
グレイ・ガーデンズの背景もよーくわかるので、ぜひご一読を!
さてざっくり説明すると、彼女たちはブーヴィエ家の出身。
ブーヴィエ家といえば、ケネディ大統領夫人となったジャクリーンの実家です。
この母子は両方ともイーディスという名前なので、母親のほうはビッグ・イーディ、娘のほうはリトル・イーディと呼ばれます。
ビッグ・イーディは歌手をめざしながら、当時の上流階級にふさわしくない言動のために夫から捨てられるはめに。
実家からも絶縁されて孤独の身に。
そして娘のリトル・イーディのほうは社交界の花形だった、絶世の美女。
これが若い時の写真。
おお、まるで女優のような美貌です。


そして手もとに残された広大なグレイ・ガーデンズに、ビッグ・イーディとリトル・イーディの母子は住むことに。
居食いしているうちに、家はどんどん朽ち果てていく。
広大な庭も荒廃していって、アライグマが出入りする状態に。
HBOではビッグ・イーディをジェシカ・ラングが、リトル・イーディをドリュー・バリモアが演じます。
こちらが華やかだった時代の二人。

これが落ちぶれて、こんなことに。
どひゃー!

で、この二人の生活というのが想像を絶するエキセントリックさ。
ボロ屋で暮らしながら、リトル・イーディはファッショナブルに、家のなかでミンクの毛皮を着ているのだ。
服もよく見てみると、カーディガンをスカートにしていてピンで留めている。
髪を失った彼女は常にターバンを巻いているのだけれど、スカーフだけではなくて、セーターを頭に巻いている。
数の限られた手持ちの服をとっかえひっかえして、毎日斬新な着こなしを見せるんですね。
こちらが実在のイーディ親子。

このリトル・イーディのスタイリング術が、まさに天才的。
凡人には考えつかないオリジナリティがあって、エレガント。
よくあんな着こなしを考えつくものだと、あっけにとられるばかり。
服を持っていないと、ファッショナブルになれないというのはまったく違うことなのだ、というのがよくわかります。
こちらは実在のリトル・イーディ。
セーターのターバンにつけたブローチが定番。

こちらはリトル・イーディに扮したドリュー・バリモア。
おお、似ています。
ブローチもちゃんと複製を。

いっぽう70代半ばのビッグ・イーディのほうはベッドに寝たきりになって一日じゅう何をするわけでもなく、娘の姿が見えないと、大声で呼びまくる。
ビッグ・イーディがベッドで唄い出すシーンがあるのだが、これがまた怖い。
ビッグ・イーディの脳内にあるのは、現在の寝たきり老人になっている自分ではなくて、かつての美しくもてはやされた自分の姿。
子離れできない母親と娘の関係、果たせなかった夢がいかにグロテスクになるか、見ていて鳥肌がたってくる。
こちらはドキュメント映画に写った実在のビッグ・イーディ。

こちらがジェシカ・ラングが演じるビッグ・イーディ。
すごい!
迫真の老けメイクです。

そしてすごいことに、この二人は一切家事をしないのだ。
食事はクラッカーにパテを塗って囓るだけ。
近所の農家から野菜でも魚でもわけてもらえるだろうに、彼女たちは野菜や肉を料理して食べるという基本的なことすらしない。
彼女たちの頭には掃除する、食事を作る、庭掃除をする、働いて賃金を得るといったことが一切思いつかなかったようなのだ。
「生活? そんなものは召使いに任せればよいのです」
という有名な言葉通り、貴族の奥方というのは生活感ゼロなのである。
ここまでいくと、あっぱれとしかいいようがない。
貧乏であるのに、ちっとも彼女たちは「かわいそう」じゃない。
いや、かわいそうだなんて生ぬるい同情を受けつけないほどに、エキセントリック。
ここまでおのれをつらぬいて生きられたら立派なものじゃないか、と感心してしまうほど。
おそらく周囲だって彼女らを助けようとしたんだろうけど、もう他人にはついていけない領域だったんだろうね。
まさしく奇行の女王。

この彼女たちのどこまでもマイウェイをつらぬき、気位だけはむかしと変わらず高いようすが、いかにも「没落貴族」でカッコいいのだ。
「幽閉の女王」
「亡命貴族」
「流浪の王族」
といった物語を彷彿とさせて、しびれます。
太宰治の「斜陽」に出てくる「お母様」のようでもあるし、さらにいえば「贅沢貧乏」の森茉莉も彷彿とさせる。
森鴎外を父に持ちながらも、最期には貧窮のひとり暮らしを続けた森茉莉。
美少年愛小説の先駆けといえる小説を書き続けた森茉莉。
最期の最期まで、自分を溺愛してくれた「パッパ」鴎外の思い出ばかりを語っていた森茉莉。
まったく生活力のない姫体質でありながら、しかしながら森茉莉とは、貧困のなかでも薄緑色のグラスを見つめて、そこにベネチアの幻想を見られる希有な美意識の持ち主であったのだ。
同じくグレイ・ガーデンズに住むイーディ親子も現実を生きていない。
ビッグ・イーディはいまだに歌手だった時代を夢みている。
リトル・イーディのほうは会う人もいないのに着かざり、毎日手持ちの服を工夫して、ファッショナブルに装うのだ。
そう、ここにあるのは「現実を徹底的に無視して、おのれの内側にある美の王国を見つめる」狂気すれすれの世界なのである。

リトル・イーディは米国のゲイピープルの間では「アイコン」になっているらしいのだが、それがすごくよくわかるよね。
グラマラスというのは、とどのつまり内なる美の王国のことなのだ。
おのれのなかにある美の世界観を、いかに徹底して表現できるか。
それこそがモードの真髄なのだ。
古いセーターが古いセーターにしか見えないのが凡人なのに対して、天才はそこにまったく違う新しいものを発見できる。
その世界をひっくり返してくれる手品をファッショナブルと呼ぶのだ。
ふつうの人から見れば奇抜だったり、異様だったりするものでも、とことんスタイルがつらぬいている人に対して、お耽美な人々はひざまずくものなのである。
もしイーディ親子がまっとうに生きて、財閥夫人としての生涯を終えたら、伝説の存在になっていたかどうかはわからない。
貧困と孤独のなかに生きた、とてつもなくグラマラスな人物だからこそ、永遠に生きるアイコンになったのではなかろか。
三島由紀夫の「サド公爵夫人」という戯曲のなかには、サドのことを「天国の裏階段をのぼった」と表現する箇所があるけれど、グレイ・ガーデンズもこのことばを思い出させる。
リトル・イーディとは裏階段をのぼってモードの天国にたどりついた聖女なのである。
HBOでのドラマ化初放映は4月18日。
イーディ親子をどれだけドラマとして見せてくれるのか楽しみです。
興味をそそられた方は、ぜひとも元ネタになったドキュメンタリーを観てみて下さい。
ファッションやアート、デザインに興味あるひとは必修よ!
見なかったら一生の損よ!(←大げさ)

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今日のNYはいいお天気。
ようやく春らしくなってきましたー!
今日のエントリはあげるのに四苦八苦して、アップするのが遅くなり、失礼しますた。
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